(写真はR33スカイラインの富士スピードウェイ試乗会に参加した時のものです。周りの参加者はほとんど「スカイライン」のなか肩身の狭い非日産勢の図・・・「シートポジション」参照。)
この車との出逢いは、カーグラフィック誌のブガッティEB110の記事にあった言葉がきっかけでした。
ブガッティEB110はV型12気筒3500cc4ターボ、560ps!のスーパーカーであり、若かりし頃の自分はそのような雲の上のようなスーパーカーの記事でさえ一字一句漏らさず読んでいたのでしょう(若さとは素晴らしい・・・💦)。
EB110のステアリングの切り始めのシャ-プな反応のリポートとして、なんと
「レガシィRS-RAのようだ・・・」としていたのです。この表現は衝撃でした。「レガシィがブガッティのようだ」ではなくて「ブガッティがレガシィのようだ」だったのですから。
子供の頃からなぜか日産が好きだったのですが、その瞬間から、「レガシィ」、「スバル」に関連する記事をCG誌のバックナンバーからさがして読みあさることとなりました(それまでは、正直スバルはノーマークだったかもしれません)。その結果、ポルシェもこだわる水平対向エンジンを大事に育ててきた技術集団が日本にあり、レガシイが入魂の作(というか背水の陣で、それがダメなら富士重工はやばいという感じ)であることを知ったのです。
RS-RAはエンジンがハンドクラフト(人が研磨・バランス取りをする)で受注モデルなので試乗は出来ませんでしたが、セダンRSの「ドロドロ」というエンジン音にはまってしまいました(といっても排気干渉をクリアした現在のボクサーエンジンもいいと思います)。
この車との生活は自分にとってエキサイティングでした。大型車がつけた轍を横切るとカップホルダーのジュースが飛び上がるため、そういう状況ではジュースの上に手をかざす変な癖ができてしまいました(次に出逢うスバル・アルシオーネSVXによってこの癖は消えていくことになります)。
WRC(世界ラリー選手権)で次のシーズンはインプレッサへの移行が決まっていて、レガシイがWRCを走るのは残りわずかなときに、レガシイはニュージーランドで初優勝をスバルにもたらしてくれました。当時、レガシイのセダンはB4ではなく、今よりもさらに少数派(むしろ異端?)でした。いまさらですが、久世さん(ご冥福をお祈りいたします)はじめスバルのラリー関係者の方々にこの場を借りてお礼いたします。当時、レガシイ・セダンに乗っていて本当によかったと思えました。ありがとうございました。
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