仕事に好きも嫌いもない

目からうろこ、どさり

この文章は「出会い」ですね(星はすばる・・・級でしょうか)。養老孟司先生からの最高のバレンタインデー・プレゼントです(2月14日の山梨日々新聞の現論に掲載)。私の仕事観の形式知化になりました。

以下は抜粋です。

「景気がいいとか、悪いとか、そういうことは、私自身にはほとんどほとんど無関係である。私は景気で生きてこなかったからである。じゃあなんで生きてきたかというなら、やりたい仕事で生きてきた。仕事をすれば儲かるかというと、私が本当にやりたいのは虫捕りである。これはほぼ絶対に儲からない。世間のお役には立たないからである。だから虫捕りはまず仕事にはならない。」

私の場合、車の運転がこれに当たるわけです(^_^;)

「じゃあどうするか。世間に必要な事を同時にするしかない。世間が必要とすることをすれば、それなりにお金を払ってもらえる。ただし、仕事が二重になる。そんな事をすると、どっちも成り立たないのじゃないか。必ずしもそうではない。

実はそういう人間はあんがいきちんと働くのである。なぜなら、本当にやりたい仕事なら一生懸命にやるのだから、仕事を一生懸命にやるというのがどういうことか、それがわかっているからである。それならお金を稼ぐ仕事だって、つい一生懸命にやってしまう。ブツブツ文句をいいながら仕事をしている人を見ると、好きな仕事をしたことがないんだなあ、と思ってしまう。好きな仕事をするためなら、かなりいやな仕事でも平気でできる。

好きな仕事は、お金を稼ぐ仕事とは違う。それならお金を稼ぐ仕事は、べつにやらなければならない。そういう立場だと仕事に客観的になる。好きでやっているのではないから、自分の思い込みが少ない。命がけではないから、だめだと思えばさっさと身を引ける。引け時を誤るのは、仕事上では最大の危険の一つである。

無責任じゃないか。そう思う人もあろう。しかしすべての仕事に対して全身全霊を傾けたら、自分がもたない。だれだって、適当に手を抜いているはずである。ほかにやりたいことがある人は、ちゃんとやるとはどういうことか、仕事を好きな仕事でわかっている。だから片手間で仕事をしていても、じつは片手間にはならない。

どれだけ好きな仕事をして、どれだけやむをえない仕事をするか。一つの仕事だけをしていたって、じつはさまざまなことをしなければならない。

(中略)

好きな仕事をするといっても、そのなかにはかならず「好きでない仕事」がまざっている。それなら仕事をするということは、じつは好きも嫌いもないのである。ただ根本に、やりたいことがあるのか、ないのか、それがあるだけである。やりたいことがある人は仕事で成功し、ない人は成功しない。それだけの事であろう。

多くの人がそこで能力を持ち出す。私にはなにもできないという。そう思ったら、むろんできない。だって、なにが自分にできるか、やってみなけりゃわからないからである。しかも、一つの仕事には右に述べたようにさまざまな局面がある。ある部分をとってみれば他の人より自分のほうが優れている。そういうことがあるはずである。それがわかるには時間がかかる。」

好きな事を仕事にした方が幸せなのか、仕事を好きにならないとイケないのか・・・このテーマに対する長年の考察(大して悩んでもいませんが・・・)に光明が差してきました。

それと、車を好きと言ってもいろいろな様々なアプローチがあると思います。私は、このサイトをしていくうちに明確に整理されていますが、「運転する事」が好きなようです。その事が満たされない場合は、そのブランドのファンである事をやめる事が出来てしまいます・・・

そうであれば、やはり家庭の許される範囲でマニュアルミッション車に換えることが自分の気持ちに忠実ということでしょう(ストリーム自体は充分ファン・トゥ・ドライブなんですが)。

2Lまで、NA、MT、4人でスキーにも何とか行ける・・・

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