今月の100分de名著は、正直知らなかったのですが、これは大事な出会いになりそうです・・・(自分がなぜMTによって満たされているのかを見事に説明しているのです。)
あの時代に「汎神論」を唱え弾圧された作者には真理が見えていたのでしょう・・・
「自由」を捉え直す・・・魚が水から解放されることが自由ではない。その本性のなかで強制されていない⇒自由。他からの強制⇒不自由。
これによってMT車によって何を得たのかを知ることができました。そして、その気づきは他の事にもつながる・・・
「能動」とは・・・例えとして案内人の國分先生は「カツアゲ」を使いました・・・自分から金を出したのだから、部分的には能動ということになる?たしかに、それはおかしい・・・
この能動の理解はとても大事になってきます。スピノザの説明する「能動」、「自由」を理解すると、先生の言う通り私たちは今を生きやすくなりそうです。ただ、スピノザは完全な自由、能動はない、としています。それらを増やすという観点によって、現在重要視されがちないわゆる自由な意志、またそれに付随するとされがちな自己責任から逃れて楽になる・・・
SUBARUの進むべき道・・・それにおいてもこの観点は有益だと感じます。なぜ私は離れたのか・・・それはスピノザの言う不自由が増えていくように感じたから。ドライブにおいて「自分の本性のみ」ではなく「他からの強制」を感じるようになった・・・
アイサイトが対応できないからMTが設定できない・・・←? SUBARUの本性とは?前車に上手く付いていくことなのでしょうか。スピノザの言う自由な(=強制されない)車・・・
尚、原文は難解のようなので・・・コンシェルジュによる解釈から入った方が・・・(^_^;)私はサマリーだけでもお腹いっぱいです・・・
コメント
読書の良さの一つに全く関係ない分野が自分の中で一気につながり視野が広くなる事があると思います。
で、やっぱりMTですよね!
話変わり恐縮ですが、こちらで何回か車の相談しつつ今だに買ってません。なかなか、全てを1台は難しい。時々親のハイゼットワゴンのMT、4WDに乗ってますが結構これはこれで面白い。で、ある方法がひらめきました。ハイゼットワゴンのターボ、MT、4WD、スマートアシスト付きを買い、家族旅行や遠乗りの時だけレンタカーで高級ジャーマン車を借りるというものです。
これなら雪道も安心の荷物も積めるライトウェイト、ミッドシップ四駆(笑)に乗って維持費を抑えつつ、遠乗りも楽しめる!
本気で考え始めましたが、奥さんなんて言うかだな・・
「ライトウェイト、ミッドシップ四駆」それも、MTでスマートアシスト付き!ありだと思います。
週末にスバルの担当から車検の案内の電話がありました。まさにこの話しになりました。例えばレボーグにMTを望む層はスマートアシストで充分のはず・・・アイサイトが対応できないから、という理由は当たらないのですが・・・すでにダイハツが示していたんですね(^_^;)
ジャーマンだけでなく、レクサスESやCX-8等も・・・
自分だったら・・・小さいMTですか・・・
もしかしたら、もう一匹(いや頭ですか)?
(けっこう、2008やるんですよね・・・)
もう一頭、いいですね。(たがいにそそのかしあってるような・・)
親のハイゼット、冬タイヤに交換の時、夏タイヤの傷みが激しいので春にタイヤ買おうと思って調べたら、アルミホイール付き4本セットで2万円台で買えちゃうんですね!前乗ってたレガシィのタイヤ1本分やん・・
この維持費の安さは心動かされる。絶対的速さと見栄を気にしなければ、全て満たせる。そして機能だけを突き詰めた形。軽商用車って日本の誇るオンリーワンのジャンルだったんだ・・
おっしゃる通りですね。その分シートを換えて・・・(^_^;)
タイヤも、実はレパートリーが充実・・・
スピノザによると・・・「真理」とは知るのではなく体験するもの、とのことでした。例えば自転車に乗れた瞬間・・・「こういう事だったのか!」
そして、真理の外には真理はない、とのこと・・・
これ、まさにMTに当てはまると思いました(^_^;)乗らずに理解はない・・・
ただ、「真理」を得ると人は変わる・・・
そういう意味ではSUBARUが変わる、は元に戻るではないということも受け入れなければ・・・ただ、それはSUBARU自身が強制されて、ではない・・・自分たちの「本性」に基づいて。
でも、それは「体験」しなければ分からない・・・SUBARUのみなさんにもう一度初代レガシィに乗ってみてほしいですね。できればMTを(^_^;)
SUBARUに限りませんが、CVTをステップ変速するなど、結局ダイレクト感ではDCTはおろか、最近の多段ATにかなわず、最大利点である燃費も落として何のためにCVTにしたのか、どうも商品設定がわからないクルマが増えてるようにも感じます。
CVTの利点である滑らかさと無段変速を犠牲にするぐらいなら、油圧に回すためのパワーロスがあるCVTは載せる意味がない。
SUBARUのアイデンティティは水平対向エンジンというハードではなく、走る喜びの提供ではなかったのでしょうか。無理にCVT使うぐらいなら燃費が苦しいボクサーをあきらめて、たとえ直4エンジンでも直3ターボでも、あるいはトヨタハイブリッドの流用でもSUBARUとしての回答は可能と思います。
「走る喜びの提供」
たしかに、そこがぶれているのかもしれませんね。
先日の前担当との話でも、「安心」という言葉は出てくるのですが、「喜び」は彼からはついに出てこなかった・・・
たとえ家族と一緒でも、着いたときに、
「SUBARUだと、やっぱりドライブが楽しい」となってほしい・・・そこに「安心」が必要なのは正しいはずですがそっちがメインコンセプトではない?
もうひとつ、水平対向によるシンメトリカルAWDの私における位置づけにインパクトを与えてきたのが、2008でした。
この手のクロスオーバーはSUBARUの独壇場だと思っていたのですが、愉しさではむしろ越されてる・・・
今更ですが、初代CX-5の出てすぐの頃も、これスポーツカー?という感じでした・・・
喜びと一致するかは別なのですが、そこを幹にしないのであれば水平対向である必要は・・・手足を使わなくても付いていく、寝てる間に着く、であれば、静かで揺れないだけでいい?