そんなの1日でできるでしょう

移動中の車内で参議院の中継を見ました。自民党の舛添議員の質問でした。

伊吹文部科学大臣はこんなつもりではなかったのでしょう。教育基本法の改正をした文部科学大臣として名を残すためにわざわざ出てきたのに、未履修、いじめ、タウンミーティングのやらせ・・・と問題が噴出しています。

「梯子をはずされても・・・」でも書きましたが、この基本法はこの先の国是をどうするべきかという観点でも議論する必要があるかもしれないので、この問題噴出の状態で議論するべきではないと思うのです・・・

子供たちに、本当に大事な事を決めるときはどうするべきなのか、示されているとは思えません。

舛添議員が、学年毎の児童・生徒の自殺数(原因にかかわらず)と不登校数の報告を求めました。例えば中学1年生が多ければ、公立の義務教育(6-3制)の検討に加味されるべきだとしていました。確かにそのデータ無しには議論も無意味かもしれません。

しかし、驚いたことにそのようなデータは「ない」というのです・・・さらに、未履修問題で大変だから、追加の調査は現場に負担だというのです・・・

例えば過去5年で調べても、一日でまとまるのでは・・・

これ、根本的に解決しようという気が無いですね・・・

これだけ問題が噴出してもできないのなら、無理でしょう(この組織は自分では変われない)。

しかし、このままで良い訳はありません・・・

現場のイデオロギー的対立の現状を知らない、というご指摘があるかもしれません。しかしそんなことがもしあるのであれば、子供たちにとって一層不幸なことです。

双方、公僕であるという自覚を持って、「控える」べきです。

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-先日の公教育民営化の極論(暴論?)を書き込んだ際、Tanacさんから教育哲学はどうするかという疑問を提示いただきました。これについては残念ながら明確な答えを持ち合わせていません。

しかし一連の文科省の対応を見る限り、現行の公教育は、「教育サービスはどうあるべきか」の観点が決定的に抜け落ちています。民間の普通の企業なら「製品の安全性や妥当性の根拠となるデータはありませんし、ほかの事で忙しいので調べる気もありません」ではその場で取引停止が当たり前です。「サービス」の観点から見直し、学校運営は優秀な経営者に任せたほうが少なくとも今よりましでは?と思います。

ただ、いじめや恐喝にいたっては本来、親がしつけるべきことで、現場の教員や基本法の責任ではないと考えます。われわれがなすべきことは論議はもちろんですが、徹底的に子供に(いい意味で)かかわっていかなくてはならないと思うのです。虐待は論外としても、しつけ以前のレベルの親が目立っている中で熱意のある教師ほど苦悩は深いところでしょう。

ただ自分の子供を守るためにはお役所の改心や美しい国づくりを待つ時間はないので、あれこれ考えるのですが、お金を貯めて信用できる「経営方針」の私立に預けるぐらいしか具体策を思いつかないのが情けないです。

ところで、娘に算数を教えるとき、インドの算数を参考にしたらしい教材を見つけていろいろ調べたのですが、インドの算数と日本の算数のレベルの違いに愕然としました。

ゆとり教育っていったい何を目指して誰が責任取るのでしょうか?哲学に加えて純粋なテクニカル面でも不安が尽きません。 — [IR0430] 2006-11-22 22:02:47 (水)

-IR0430さん、ありがとうございます。そうなんです。責任の所在が明らかにならないようにできているんですよね。すべてはここに行き着いてしまいます・・・鈴木寛参議院議員の、これを変えるために相手が大久保利通のつもりでやらないと・・・という言が思い出されます。

大久保が相手なら竜馬と高杉が必要ですが、その二人も大久保自身も若くして死ぬわけです。それで守られているのを自覚しない鈍さが腹立たしいわけです・・・

ゆとり教育は結果が出ているので、戦略性のある検討をするべきですよね。6時間授業は小学生は無理ですよ(今の自分でも無理です・・・)。それは週1回にして、土曜もちょっと学校行ったほうが。そっちのほうがゆとりだと・・・子供はゆとりを感じる必要はなく、今はむしろ漠然とあるという「不安」を解消する事ではないでしょうか。

インドの算数ですか・・・なんですか19×19って。 — [Tanac] 2006-11-23 06:38:15 (木)

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