「パパ、何で泣いてるの?」
星野監督が走っているときのかたい表情を見て、気が付くと泣き出していました(^_^;)
「何泣いてるんだ、オレは・・・」
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伝説の珍プレー、宇野のヘディングの時、マウンド上の背番号20はグローブをたたきつけました。
そう言えば最近はその手の映像をあまり見なくなりましたが、懐かしいユニホームの青年監督はグランド上に本来の用事意外でいることがままありました。
ナゴヤ球場だとはいえ、「世界の王」にこぶしを握ってせまったり、やじったと思われる巨人の水野コーチに「出て来い」と巨人ベンチに突進したりしている時から「気になる」存在でした。
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長野オリンピックの直前まで長野県の南に赴任していました(実はドラゴンズファンが多いのです)。閉会式に登場した清内路の花火はかつて火傷で運ばれたこともあったそうで、地元に根ざした素朴な冬季五輪大会を感慨深くテレビで見ました。
オリンピックが始まると、私は長野市を越えて日本海に出た高田にいました。
スピードスケートの清水選手、スキー・ジャンプ団体の金メダル・・・
競技スキーをしていた私にとっては、八方尾根の黒菱をたった2旗門で落ちて飛び出していった男子滑降・・・縁の場所で世界のトップ選手達によって繰り広げられた闘いは、大事な思い出です。
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合宿をはじめ何度も通った「長野」の変わりように毛が逆立つようでした。
中継が始まって、星野監督はすでに走り終わっていると言うアナウンスで「どうしたんだ?」と不安がよぎりました。
出発の様子は録画で見ることになりましたが、スムーズに点火されなかったことを知り、思い出が土足で汚され、そして監督のなんとも言えない固い表情を見て、第2走者が用意されていないと言う不手際をみて、「なぜ星野監督がこんな目にあわなければならないのか!」と情けなく、悲しくなりました。
(長嶋FANの気持ちが少し分かる気がしました。もし、長嶋氏が聖火ランナーだったら・・・あんな事許されますか?)
始めは「無粋」という理解でしたが、私の納得のために、この「祭り」のコンセプトを確認したいと思います。聖火リレーは誰が何のためにするものなのか。私の思い出の地がどうしてこんな目に合ったのか・・・
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