「大勲位」という表現がまず来ることの方が多いのでしょうか。
でも、私は「風見鶏」になってしまうのです・・・
彼をそう思っていたという事ではなく、父がそう言っていたから・・・
父が言うには、「青年将校」だったのに首相になった頃?は派閥の力学の中で生き抜く姿をそう揶揄されていたことも。
思えば、私はまず父の人物評が入る・・・その後、逆に否定から入る時期も・・・
(大鵬が好きな人が、なぜ長嶋はダメなのか・・・)
ちなみに彼は母の実家の選挙区で、「票を読む」とはそういう事だったのかと知ることに・・・
私の中では、後で人物評を考えさせられた筆頭かもしれません・・・
最晩年の寄稿には感銘を受けました。
「(当時の指導者の戦争責任について)日本人自らの責任で決着をつけるべきだった。」
「東西冷戦がはじまったことで、日本社会としての戦争の総括が中途半端に終わってしまった。」
彼は、まだほかに残しているのではないかと、感じるのですが・・・
もしかしたら、実はそのチャンスが来ていたのかもしれませんが、またつぶされるのでしょうか・・・
(歴史の見方は、結局その後誰が得したのか・・・)
コメント