おしゃれには全く自信がありません・・・
私が認知症になったら、同じ服を着続けると思います(^_^;)
でも、お世話になっている理容店は自信があります。
いえ、たまたま通勤の途中にオープンしたので出会うことができました・・・(アンテナの感度がいいわけではありません)
冬の寒い日も毎朝店舗の前を掃いているマスターはこの街に似つかわしくない、ダンディーな出で立ち・・・
(そんな人にやってもらっているなら、少しはおしゃれをして恩返しすべき?)
久しぶりの同窓会を控え少しは・・・ということでその直前に伺いました。
交差点の角に立地しているので鏡には多くの車が映ります。
それが本当はどっちから走ってくるのか・・・案外慣れるのに時間がかかります。
子供のころから、このような状況では暇つぶしには苦労しませんでした。車を見ていれば30分くらいは軽く待たされているという感覚をもたないで済むかもしれません。
車に詳しくない人からすれば、今の相棒はこのプロパンガスを積んだトラックの仲間に入れてもらうのかもしれない・・・ヒューンという電車のような音もしないし・・・
ふと気づくと・・・いつになく早く飽きてきた?
(車の形が同じ・・・)
軽ハイトワゴン、ソリオ・タンク、セレナ・ノア・ボクシー、アル・ベル・・・
自分の感受性が落ちて、同じに見えてしまうのでしょうか・・・最近、発表される欧州勢のリアランプ周りが同じように見えてきました。
コンビニで売っている物を食し、だれがセレクトしたのか分からないプレイリストの曲を聴き・・・
これで自動運転になったら・・・
(なんかモルモットみたい・・・)
気が付いたらビッグデータのサンプル?
(ほら、それ食うと・・・になってるよ)
実際に見て、触って・・・
「これ良さそう!」
心は何にも支配されてはいけない・・・
「でも、みんなはそれを選んでいない・・・」
(みんなって誰?)
直感は今までの人生の集大成が一瞬に凝縮したもの・・・それって自分の宝物なのでは。
宝物をどうしましょう・・・
(心の奥底にしまったまま?まちがって誰かに捨てられてしまう・・・)
コメント
スマホはじめデジタルデバイスやナビとか使いすぎると確かに脳機能が衰えていくような・・・
リロイ・ジョーンズの言葉を思い出しました。少し長いですが引用します。
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
(中略)
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に、自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
(引用終わり)
(by リロイ・ジョーンズ 1968年、NYハーレムにて)
現代のオンラインはまさしく奴隷たちをつなぐ一本の鎖か?
とはいってもスマホもクレジットカードもない生活はすでに考えられません。
せめて自転車(もちろんアシストなし)に乗りまくり、クルマはマニュアル車に乗ってちょっとでも感性を奪われないよう抵抗しようと思います。多分あまり変わらないけど。
IRO430さん、とりとめもない文章にお付き合いいただきありがとうございます。
引用の文章、するどい切り口ですね・・・
「鎖の自慢・・・」
(こっちはこんなに何もしないで走れるよ・・・)
MT乗っていれば、セレクトの連続なので大丈夫なはず・・・ただ、最近少し怖くなってきました。
「前を向いて発進する」の、自分だけ・・・
(発進時に前を見ている人・・・少数派?)
癖で対向車の人の顔を見る、いや見すぎかもしれません・・・(^_^;)
けっこうおしゃれな感じな奥様なのに、スバルに乗るんだ・・・ご主人の声が大きいのか・・・(5年前ならまだしも今は問題発言ですね)
最近は渋滞気味だと対向車のドライバーの表情が全然分からない・・・
すれ違う車がみんな下を向いている・・・けっこうこわい・・・
(そういう自分もある意味前をまっすぐ見ていない?m(_)m)