衝撃でした。私の探していたものに繋がるかもしれません。
肩書や社会的な地位ではなく、一人の人間として生きる力に目が行ってしまう・・・
バス釣りのフィールドでのしっくりする感じ・・・
こちらでも、今MTを運転し始めないとどんどん衰えていってしまう・・・と書きました。
私の「魂」の中に古代の狩猟時代のそれがあるのでは・・・
しかし、そんな私を突き落す、逆に楽になる分析がありました。
「・・・だが個人のレベルでは古代の狩猟採集民は、知識と技能の点で歴史上もっとも優れていた。」
(自分も「個人」としてはサピエンス史上衰えた存在だった・・・)
「世界をグローバル化する3つのフィクション:貨幣、帝国、宗教」
グローバル化へのパワーを持つ3つのフィクション・・・そう言われてみると、いずれも私がアレルギーを感じるものです。(唯一神によらない宗教はその限りではありませんが・・・)
これらにアレルギーを感じる ⇒ 文明的ではない?(^_^;)
でも、自分はそういう性質なのだとただ受け入れればいいというわけにはいかないかもしれません。というのも、そもそもサピエンスが他の人類と違っていたのはフィクションによって他人と「協力」する事によって栄えてきたから・・・そこを備えないのであればサピエンスにとって不要な存在?
自分は何者なのか・・・どうしてそう感じたり考えたりするのか・・・その理解に大きく近づく分析だと思いました。
もし、秩序がフィクションであることを受け入れやすいのであれば、「現代人が幸せになるために必要なフィクション」も見える?
それは別の問題ですね(^_^;)
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