奈良の事件

不幸な事件を教訓に

奈良で不幸な事件が起きました。このような事件についての報道の目的とは何なのでしょう。事実を知るためでしょうか。

しかし、関係のない私が事実を知ってもそれが教訓とならないなら知る必要はありません。関係者にとっては迷惑なだけでしょう。数多の専門家がコメントしていますが、このような悲劇が繰り返されないためにはどうすればいいのかを教示して欲しいと思いますし、キャスターの立場にある方はそれを引き出して欲しいと思います。少なくとも「家を焼くな!」と大声を出すのが務めではないはずですし、それでは問題は解決しません。

事件が起きて早期に、それじゃあ同じような境遇の子はみんな同じ事をするのか、と本人の資質を問題にするようなコメントを多く耳にしました。しかし、これと同じ境遇って本当によくある事でしょうか・・・

私が慄然としたのは、子供の部屋をICU(集中治療室)と名付けていたということです。「子供の」部屋ですよ。誰が何を治療するというのでしょう。子供は「病んでいる」ということですか。私はこの情報を車で移動中に知ったのですが、情けなくて涙が出てきました。

スキー部の後輩にスティーヴ・ビダルフ著「男の子って、どうしてこうなの?」という本を紹介されました。彼が私に本を紹介するのはそれが最初でおそらく最後でしょう。私はあまり本を読まないのですが、何を急に言い出したのかと気になりました。私も二人の息子がいるので読んでみました。

これは男の子を育てていらっしゃる方は参考になると思います。男の子には3つの時期があり、それぞれの時期に必要なキーパーソンがあると言うのです。第1期は6、7歳頃までで母親。第2期は14歳頃までだそうです。第2期では子供が求める際に、父親の存在が必要なのだそうです(いつもいなくてもいい)。第3期にはもう親の出る幕はないそうです。親以外の年長男性との出会いが大事だそうです。自分の事を振り返るとこの年長男性というのは共感できます。

私の二人の「エネルギーの塊」は、まだ4歳と2歳ですが、本当に彼らにとって自分が求められるのは3年後くらいからということになります。その頃になって「仕事が忙しいから」は通りません。なぜなら男の子にとっての父親のハイライトはその第2期だけなのですから。あとになって「ICU」で殴っても遅いのです。

私は、両親に「勉強しろ」と言われたことがありません。そんなのきれい事だと思われるでしょうか。しかし高校生にもなって、殴られて詰め込まれたものって何になるのでしょうか。

父親の方も同じような境遇であったという情報もあります。連鎖するということでは一種の虐待としてとらえなければならないのかもしれません。そう言う意味では私が両親にしてもらったことは財産だと思うので、私がそれを破ってはなりません。

「子供が立派になってほしい」から・・・これもどうなんでしょう。そんな心配はわが家にとって杞憂に過ぎませんが、いまや官僚や医師に「なるだけでいい」では一般からのニーズに応えられないですし、社会はそのような人材を飼って置く余裕はないのではないでしょうか。

そのような状況があれば「いまのはズルだよ。卑怯だよ。」と子供たちに話し始めています。もし「卑怯って何?」と聞いてきたら(まだ聞いてきませんが)・・・白虎の教えでは「ならぬものはならぬのです」だそうですが・・・

やはりスティーヴ・ビダルフ著の「子どもを叱らずにすむ方法おしえます」も参考になると思います。「”怒らずに”」すむ方法・・・とした方がいい内容になっています。

TanaCar.netでは「燃費走行」で触れましたが、心をしずめるテクニックとして「グラウンディング」という手法が紹介されています。これは感情に任せて怒り、あとで自己嫌悪に苛まれるということをかなり防いでくれると思います。

先日、昼のNHKの番組に出ていたブラザー・トムさんの話も印象的でした。

「子供の方が正しいですよ・・・」これは、私も感じる事が多いのです。子供は相手を陥れようとは思っていないのです。ただ、いたずらで面白くてやっているだけなのではないでしょうか。しかし、それが結果として彼のためにならない場合は、「それは卑怯だからいけない」「ズルいからいけない」と話すようにし始めました。

この観点からも、やはり子供の部屋に「ICU」は不遜であり残念です。

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