「隠さないことです」

あとでここに書こうと、思わずメモしました。

緩和医療の講演を聞きました。骨転移に対して除痛目的に放射線治療を受けている患者さん自らお話になると案内にあり、拝聴しました。

緩和医療における尊厳は鎮痛によって初めて得られると確認させられる貴重な機会となりましたが、その方がガンの骨転移という診断を聞いた時に心が乱れなかったとされたところを考えるべきだと感じました。そのひと月前に、大事な家族のガン発病を経験していたから驚くことはなかったとしていました。
「身代わりになってあげたい・・・」と悩まれたからとはいえ、自らにも緩和医療が必要な状況を宣告されたら・・・

住職でもあるその方は「生・老・病・死」(四苦八苦)を分かりやすく説かれました。日々、この境地にあるからこそ受け入れることができたのではないでしょうか。

その後に行われた坂井かをりさん(NHKエデュケーショナル)の講演で、緩和医療の導入のところで医療側の配慮が求められる・・・と提言されていましたが、いくら配慮ある話し方をされてもショックは大きいのではと想像されます(配慮がないのは問題外ですが)。

実は、momoさんはこの辺りの専門家で、心療内科でスタンダードとされる「傾聴」「共感」・・・の本質的な意義(どういうスタンスでそれを実践すべきか)を教えてくれたことがありました。ただ聴いて、「大変ですね」で緩和医療の受け入れができるのか・・・その通りだと私も思いました。

人は必ず死にます。今の日本では約50%がガンで死ぬようです。となると緩和医療は決して特殊なことではないはずですが、日常生活が「生・老・病・死」からあまりに離れ過ぎるのも・・・。

医療を特集するドキュメントはそれに関心のある人たちのための情報であり、一次予防的には必ずしも働かないのでは(忙しい方や周りに対象となる方がいない場合、わざわざ見ることにつながらない)。

これもmomoさんが言っていたのですが、例えばシェイクスピアの作品には必ずしもストーリーに必要ない病人がけっこう出てくるというのです。当時は病人が多かったということでしょう。

現代では物語にはストリーに必然のない病人は出てこなくなっているそうです。確かにテレビのドラマもみんないつも元気・・・であれば無神教な核家族は、人は老いて病み、そして死ぬ・・・ということを何からイメージするのでしょうか。

私の息子たちは妻の両親に面倒を見ていただく機会が多く、そういう機会がほとんどなかった私が幼少のころよりも余程「老い」を知っていると感じます。老い、病みに触れることなく暮らしている人が、ある日突然「緩和医療」の話をされたら、「傾聴」「共感」で足りるのでしょうか。

その層に対してマスコミにできることは大きいと思います。また、地域の活動に参加することもそれを助けると、今年度班長の私は感じる日々です・・・

—-

医療側と患者・家族側の信頼関係に必要なこととして、講演されたその患者さんは「隠さないこと」と話されました。これは肝に銘じると共に、「どうしてそんなことになってしまうのか・・・」と思わせる問題(食の偽装、口利き・・・)に、この言葉は答えると思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました