岩手でまた悲劇が起きました。確認しておかなければならないのは、「頭を何回も殴る」というのは障害罪だという事です。
「いじめ」という言葉は思考停止になります。集団的差別的暴行に他なりません。
罪を犯した者は償うべきです。自分がやったことを本当に理解し、償うためには自分がしたことを経験するべき・・・
以前にも書きましたが、いじめの問題を解決する教育的アプローチはこれしかありません。
ただ、この授業を行う条件は、「指導者はこの授業を受けていること」とされています。
人口減社会・・・今自分はスポ少の場でそれを感じています。子供の数が倍近かった私たちが子供の頃では、そもそも野球部に入らなかったような子たちが、当たり前に1軍のレギュラーで試合に出る・・・
この子たちが30歳になったとき、1軍じゃない警察、消防、医療、建築、そして教育・・・そんな社会で貴重な人材を集団で差別的に暴行するような事を人が多い時のような価値観で扱っていていいのでしょうか。
ちなみに、生体では、それ自体に障害を与える存在は白血球によって処理されます。それが生体を害する事をしなくなるかどうか、猶予を与えられ監視される状況が生体では許されているでしょうか?そんなことにエネルギーは使われないですね・・・
集団で差別的に人を傷つける・・・それは病んだ存在。そう「癌」に似ている・・・癌は悪性の性質(増殖、浸潤、転移)を示さなくならないかぎり、化学的にたたくか駆除される事が治療法として選択される。なぜなら癌を放置すると人(社会)は死ぬからです。