私はこの人が、特にその話し方が嫌いでした・・・
(おかげでますます巨人を嫌いに・・・)
でも、一番大事な問題に対して一番はっきり、しっくりくる考えをこの人から聞くとは・・・
「木の砲弾で訓練しても意味ないのでは・・・」と上官に訊いた。
「実戦では本物の砲弾が配給される・・・と言っていたが、ついぞ実弾は配給されたことはなかった・・・」
作家の司馬遼太郎も同様の事を書いていたと思う。
「(米軍が)本土上陸してきたら避難してくる人たちで混んでしまって、戦車部隊は走行できないのでは・・・」
「避難民を轢いていけ!」
私も期せずして、父と同じく国家の危機を経験することになった。
生前に訊いたことがあるが、父の答えは、
「あの時代は仕方がなかった・・・」
でも、それは違っていた・・・
それは、こちらが考え抜いてたどり着いたのではなく、危機に於いても尚、指導層は直接民を助けようとはしない、責任を果たそうとしない姿を勝手に露呈した・・・
いや、仕方がなかった・・・というのはある意味当たっているのかもしれない・・・その空気を醸成したメディアは、今回も同じように機能している。
自分は、仕方がなかったとその時に子供たちに話さないように・・・ぶれない「ベース」を保持し続けようと思う。そのベースは父たちより上の世代が作ったものだ。
それを経験した層がこちらに居なくなっていく・・・その時、全世代が共有できていた「ベース」はどうなるのか・・・
それは、教養で作るしかないのでは・・・